皇祖皇太神宮と日蓮について  パート

皆さん、こんにちは。 昨日、茨城におりましたが、

日中10度あるかぐらいで、とても寒く感じました。

今日は若干気温が上がるかと思います。

やはり、暖かいのは良いですね。

 

さて、日蓮についてのお話の続きを・・・。

神主家から何度も断られたのですが、彼は一大決心

を定めて、神宮の白龍堂に籠り、草木も氷る北国の

吹雪に身を曝し、三十七日の断食をして滝に打たれ、

命を捨てて極寒の荒行を行い、一念神に通ぜようと

祈り続けるのであった。

 

日毎夜毎この有様を見守ってきた神主は、感激し

余にも静なる坊主かなと・・・・。

解かざるはずの心の紐をついに解き「この宮は

幾十度となく、僧都の為に焼かれ汚され、神主の

難を受けて殺されしもの自害せる者の数知れず、

今猶災害常に至る様なれば、先祖の遺言家の掟

と厳重にて一切他人に物語らぬ習なれど、汝の

誠意を見ぬきたれば今こそ多年の望み叶へ

さすべし」かく告げられた日蓮は狂気せんばかりに

うち喜び、平身低頭涙を流し死すとも他言せざる事

を誓い、初めて神寶神天津國津の古事を伝授されたので

あった。

| 古文献と歴史 | 10:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
皇祖皇太神宮と日蓮について パート

皆さん、こんにちは。 今日の東京地方は晴れて、心地よい

日和です。 桜も満開のようですが、上野公園などでは

絶好のお花見が楽しめることでしょう。

 

さて、前回の続きですが、日蓮修行の為に心魂を・・・・。

と言うところでした。

在夜の未明に何者かが心の耳に囁くのを感じた彼は、懸命に

これを聞き取ろうと努力したが、無駄であった。

その後幾度かこの囁きを聞くにつれて遂に明解する事を得た。

それは「汝ゆいて越中の國のいとも古き宮に真の道を学べ」と

いふのであった。 彼は、これこそ神の導きと信じて大いに

喜び直に下山して勇躍越中の國に趣き、大山村の真言宗文殊寺

に身を寄せたのである。 そしてよう遙々尋ねた末古宮が竹内

神主家の斎祀する皇祖皇太神宮であることを突きとめ、以来雨の日

も雪の夜も厭ふことなく飽くことなく、五里余の路を遠しとせず

神主家に通い詰めたのであるが、元来竹内家は幾百年の昔から

佛教と武門の為あらむ限りの迫害を受け、当時も猶受難の時代で

あったので、如何に日蓮が懸命の願も素気なく断られて取りつく術

もなく、流石に一時は途方に暮れたが、かくてはならじと更に

勇を鼓して頼み入ったけれども、神主家では断固として聞き容

れなかった。    つづく・・・・。

| 古文献と歴史 | 15:53 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
皇祖皇太神宮と日蓮について

皆さん、こんにちは。

ここ最近、寒暖の差が激しいので、体調管理が大変ですね。

 

さて、今日は文献の中から、皇祖皇太神宮と日蓮との出会い

について、お話をさせて頂きます。

 

日蓮は皆さんもご存じの通り、安房の國小湊浦にて、

真應元年2月16日に産まれた。父は貫名次郎重忠で

母は梅菊と言った。

12歳の時同國清洛寺に到り法印の指導を受けて專ら

密教を修行し、延暦元年18歳の春剃髪して佛門に入り、

薬王丸を房連長と改めた。このころから盛んに、東國の寺々

を回遊して教えを乞ひ道を求めたが、一つとして満足を

得なかったので悶々の情を抱いてついに叡山の霊場に

入った。

当時叡山には三千有余の僧が居たけれど求道に熱心な

ものは少なく、また彼が私淑するような碩学も高僧も

見当たらなにので、彼は專ら静座によってよって自ら

悟りを開こうと努めたが、心魂を打込んだ念々不断の

行業も徒に歳月は流れ、心境の開きは一向に無かった。

或夜・・・      つづく・・・・

 

| 古文献と歴史 | 15:09 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
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