歴史的な聖人たちが皇祖皇太神宮で学んだこととは
皆さん、こんにちは。
最近新聞の一面を飾る話題に、ヨーロッパでの「テロ」が
頻繁に登場しています。 
多くの死亡者やけが人が紙面に・・・・・。
これは大変忌忌しき問題ですね。


竹内文献をご存じの方は、たぶんわかることですが、
上古第24代天仁仁杵身光天皇(アメノ二二ギミヒカリ
スメラミコト)の御代に懸属四社を始め、九十七狐王の
魂も祀られました。
また、不合朝六十九代神足別豊鋤天皇の御代にモーゼ、
七十代神心伝物部建天皇の御代に釈迦、神倭朝初代
神武天皇の御代に老子、第三代安寧天皇の御代に孔子、
第六代考安天皇の御代に孟子、第十一代崇仁天皇の御代に、
キリスト、第三十代欽明天皇の御代にモハメットがそれぞれ
来日し参朝し、修行して帰りました。

勿論、修行の中には、万国五色人の法(簡単に述べるなら)
モーゼの十戒の元になった教えなどがあります。
そのなかでも、神の教えに従い、人を傷つけてはいけない
、他人の愛する者や物を奪ったり傷つけたりしてはいけない
など、他にも・・・・。これはの教えを学んで行ったのです。

「宗教」はそもそも、家の教えを示すことであり、世の中の
善悪を教え伝えることなのです。
私達自身、もう一度原点に返って学ばなければ、その「つけ」が
いずれ・・・・。

人類の共存共栄・ともに繁栄することを・・・・・
願って・・・・。日本人として、五色人の黄人として何が
出来るのか、何を発せなければならないのか・・・、
益々重要な使命を担わなくてはなりません。




 
| 雑学 | 16:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
日蓮と竹内文献との出会い  パート
 こんいちは。

今日は雨模様でしかも気温も低いですね。

風邪など引かないよう体調管理には十分気をつけてください。

さて、今日も日蓮について、続きの話をさせていただきます。

佛僧は日蓮の手段ある。

故に声を大にして瀧の口の大難まで招いても、真言亡國律國

賊念佛無限禅天魔と弩號したのであった。

また世間一部の声として、「僅かに天が小島の主どもが」

云々の言を捕へて彼が忠誠に疑問を抱くものもあるが、これも又

大いに研究を要する疑問であろう。

何故ならば欽明天皇以来、帝によっては宇宙創造の大租霊神から

心離れて、枝葉の教義にに重きをおかれ祭政一致の本義を忘却された

事実をまま見受けられてきたのである。

この点より見れば、日蓮の毒舌に似た不敬の言は、たまりかねた

彼が憂国の情熱を送り、罪を覚悟の上御進言と受け取られるように

思われる。


尚、日蓮宗においては他の佛教宗派と異なり、用いる楽器に太鼓を、

お供物には清酒も奉る様式であるが、これはいずれも日蓮が

皇祖皇太神宮に於いて、神主職竹内基義より伝授された神前儀式

の現れである。


このように、日蓮が若い修行の時に皇祖皇太神宮で学んだのですが、

約8年の歳月、苦しい日々であったことは言うまでもありません。

しかし、その中で自ら得たもの大きさは計り知れないものであった

ことでしょう。

今の世の中、政治、経済、平和、どれをとっても不安定な気がします。

今、自分は何をすべきか? 何をしなけてればならないのか。

人それぞれ、役割が違います。

また、この世の中、ある意味修行の場が沢山あります。

自分らしい(自分に向いた)修行を怠らないように共に

進んでいきましょう。
| 雑学 | 10:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
日蓮と皇祖皇太神宮との出会い  パート
 こんにちは。

今日は久々の晴れ。 若干風が冷たいようですが、気持の良い

お天気ですね。


さて、今日も日蓮の続きをお話させていただきます。

中央に書き下された髯題目の南無妙法連華経に就いては、位置の

問題として度々耳にしてきたが、これは先ず時代の実情から研究

せねば解決は不可能であろう。

なぜならば、あの時代において習慣的に神道は全く布教しなかったし

仮に布教するとなれば、幕府と佛教の為に命を奪われる事必定であった。

だから、日蓮はその時を洞察して細心の注意を払い、一応表面的

な本尊をお題目として殊更神名を中央に奉記しなかったのである。


斯く考えてくると日蓮は表に墨染の衣を身にまとい、佛僧として説法

の自由を獲得し、内に烈々たる愛国の情を燃やし神への信仰を間接

に説いた苦心の程は充分みとめられよう。

法華神道が産まれたのも決して偶然ではなく極めて当然の事であり

日蓮の本意は寧ろそこにあったと言うことができるであろう。

換言すれば、法華経の行者と云うよりも天地身一根元の神の行者

であって、仮の籍に身を置いてその目的を達成しようと言う手段であった。


次回につづく・・・・。



| 雑学 | 10:58 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
日蓮と皇祖皇太神宮との出会い  パート
 こんにちは。

いよいよ本格的な秋の到来でしょうか、朝晩肌寒く感じられる

季節になって来ましたね。


さて、今日も日蓮の続きをお話いたします。

神主家の門を叩いて以来8か年の歳月を費やしたのであるが、

その精魂の根強さは到底常人のなす所ではない。  

流石に日蓮なればこそ感激するものである。

日蓮宗では彼が足跡不明の8か年について駿河大宮とひ

或るいは身延山と言うも立証すべき何等の証拠なく、今も不明

のままである筈だが、この一文によって愈々明瞭となったのであろう。

由来日本の僧侶たちは国体観念など他人事と考え、これを思う

事さえ好まれぬ状態であったが、一人日蓮のみは烈々火のごとき

信仰を神によせ、お題目の双方に天照大神と八幡大神の御名を

書き連ねたのであった。

八幡神に就いて鬼角の批判を世間に聞くが、竹内家と日蓮の関係

並びに應神天皇と竹内宿禰を連想すれば、直に明快な結論が

得られよう。

次回につづく・・・。


何事も初一念を通す強い精神力があれば、必ず通じる・・・。

最近、いろいろな方にお会いしますが、強い信念を持ち続ける

と言うような方が少なくなっているような気がします。

人間柔軟性も必要ですが、良い意味での強い信念も大切です。

皆さんはいかがでしょうか?
| 雑学 | 15:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
日蓮と皇祖皇太神宮との出会い  パート
 こんにちは。

今週はすっきりとした晴間もなく、何となく気が重いと感じている

方が多いのではないでしょうか?  また、季節の変わり目でも

在りますので、風邪などひかないよう注意が必要ですね。


さて、前回に続きですが、日蓮が一念神に通ぜよと祈りつづける

ので・・・。

日毎夜毎この有様を見守ってきた神主は、心ひそかに感激し

世にも稀なる坊主かなと憐憫(れんびん)の情も湧きでて、

解かざるはずの心の紐を遂に解き『此の宮は幾度となく、僧徒の

為に焼かれ汚され、神主の難を受けて殺されしもの自害せるもの

数知れず、今猶災害常に至るようなれば、先祖の遺言家の掟と厳重

にて一切他人に物語らぬ習えなれど、汝の誠意を見ぬきたれば

今こそ多年の望み叶えさすべし』

かく告げられた日蓮は狂気せんばかりにうわ歓び、平身低頭涙を流し

死すとも他言せざる事を誓い、初めて神宝神巻天津國津の古事を伝授

されたのであった。(竹内文献)

大願ならずんば命にかけても動かぬ日蓮の決意と熱意は、火よりも

強く石よりも堅く誠にもっておどるくべきものであった。

次回につづく・・・


| 雑学 | 14:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
日蓮と皇祖皇太神宮との出会い  パート
 こんにちは。

今日もやや肌寒い、どんよりとしたお天気ですね。

何やら、今の世の中の状況がそのままお天気に現れているかの

ごとく・・・。


さて、今日も前回の続きをお話いたします。

前回は日蓮が神宮家に通いつめた所まででした。

元来、竹内家は幾百年の昔から佛教と武門の為にあらゆる限りの

迫害を受け、当時も猶受難の時代であったので、如何に日蓮が懸命の

願いも素気なく断られて取りつく術もなく、流石に一時は途方に暮れ

たが、かくてはならじと更に勇を鼓して頼みいったけれども、

神宮家では断乎として聞き容れなかった。

ここに於いて彼は遂に一大決意を定めて神宮の白龍堂に籠り、草木

も氷る北国の吹雪に身をさらし、37日の断食をして滝に打たれ

命を捨てて極寒の荒行を行い、一念に通ぜよと祈り続けるのであった。

次回に続く。


*ところで、いよいよ秋季大祭も来月にせまりました。(11月23日)

現在、色々と準備を進めておりますが、今年は探湯式(くがたち)

の他に、鎮火祭(ひわたり)を執り行います。

この行事は3年または5年に一度ですので、是非参加されることを

お勧めします。  私どもの祭典には、一般の方から、キリスト教の

牧師さんや仏教系の方など、宗教や宗派に関係なく参加されます。

まだ、燃え上がる木炭を渡ったことのない方、ご自分を清める

良いチャンスですので、体験してみてはいかがでしょうか。

| 雑学 | 12:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
日蓮と皇祖皇太神宮との出会い  パート
 こんにちは。

大分涼しくなって、ようやく秋らしい季節になりましたね。

最近、風邪も流行っているようですが、皆さんはいかがでしょうか?

さて、今日は先日の日蓮の続きを・・・・・。


彼は、叡山に入り専ら静座によって自ら悟りを開こうと努めたが、

心境の開きは一向になかったのである。

ところが、在る夜未明に何者かが心の耳に囁くのを感じた彼は

懸命にこれを聞き取ろうと努力したが無駄であった。 その後幾度か

この囁きを聞くにつれて、ついに明解することを得たのである。

それは、「汝ゆいて越中の國のいとも古き宮に真の道を学べ」と言う

のであった。

彼は、これこそ神の導きと信じて大いに喜び直ぐに下山して

勇躍越中の國に赴き、大山村の真言宗文珠寺に身を寄せたのである。

そしてようよう遙々尋ね来た古宮が竹内神主家の祭祀する

皇祖皇太神宮である事をつきとめ、また雨の日も雪の夜も厭う

事無く飽くことなく、五里余りの路を遠しとせず神宮家に通いつめた

のであるが・・・。

次回につづく・・・・・。
| 雑学 | 16:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
日蓮と皇祖皇太神宮の出会い
 こんにちは。

最近何となく、すっきりとしないお天気ですね。

こんな時は体調を壊しやすいので気お付けてください。

さて今日は、日蓮と竹内文献との出会いについて、お話を

いたします。 (少々長いので、何回かに分けて  )


日蓮は、安房の国小湊浦にて、貞応元年2月16日生まれ。 

12歳の時清洛寺の法印の指導を受けて密教を修行し、

18歳の時剃髪して仏門に入る。

この頃から、盛んに東国の寺々を回わって教えを乞い道を

求めたのである。しかし、一つとして満足を得なかったので悶々の

情を抱いてついに叡山に入ったのである。

当時、叡山には3千有数の僧がいたけれど求道に熱心な者は少なく

また彼が私淑するような碩学な高僧も見当たらないので、彼は専ら静座に

よって自ら悟りを開こうと努めたが、心魂を打ち込んだ念々不断の行業も

徒に歳月は流れ、心境の開きは一向になかった・・・・・。


    次回に続く





| 雑学 | 16:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
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